さて、ヨーロッパでは、ヒルクライムという、峠道もちろん
公道を封鎖し、モンスターマシンが駆け上っていく、競技が
盛んです。クルマも、バラエティに富んでいて、フォードの
セダンから、バリバリのプロトタイプまで、500馬力から
上の本当に怪物マシンが、走り回ってます。日本でも、
こんな事やってくれないかなあ※参考までに、動画張ってみました。
えーグリーンハーツのライブ
イベント情報です。
6/2日曜日に岡山駅前、西口、噴水広場前にて、
僕達グリーンハーツが魂と情熱と勇気を届けに参ります。
皆さん、俺たちの歌を聞けえええ!!!
70年代F1を語る上で欠かせない、
チームがロータス。そして、ロータス78。この78は、初めて、空気を利用した、F1マシンです。グラウンド・エフェクトという、僕も、この辺りは詳しくないですが、著しいダウンフォースを発生し、
当時のF1としては著しい、コーナリングマシンへ進化したのです。
さて、70年代フェラーリF1を語る上で欠かせないのが、312T、ニキ・ラウダのイメージが強い、マシンです。
3リッターⅤ12エンジンを搭載し、
フェラーリの象徴ともいえる、マシンです。個人的70年代F1ベスト3に入ってます。
今回は訃報です。
『鉄人』『不死鳥』と呼ばれた、F1レーサー、
ニキ・ラウダが、5月20日
天に召されました。
70年代から、80年中盤まで、活躍した、レーサーです
ラウダといえば、76年のドイツGPでの大事故からの奇跡的な生還が有名です。全身を炎に包まれる、大やけどを負いながら、たった6週間で復帰、イタリアGPで4位入賞と、
不死鳥の如く復活したのです。この辺のエピソードは、
映画『ラッシュ』で詳しく書かれています。ライバルである
ジェームス・ハントとは熱戦を繰り広げています。
最後に貴方程のガッツと闘志をもったドライバーはそういません、ゆっくり、してください。RIP、ニキラウダ。
どうも、トガショーです。今回は、RX-7の限定モデルであり、最終型、スピリットRの紹介です。GTRのニュルと違い、タービンやエンジンのブラッシュアップはされていません。内装にやホイールに力を入れBBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用インパネなど、
限定車らしい、内容です。GTRが、エンジンまでふくめた内容に対し、RX-7はあくまで、ファッション的な、
仕様。これについては、RX-7が熟成されつくしたとみるべきでしょう。1型から、6型まで、RX-7は、度重なる
マイナーチェンジを繰り返し、熟成を重ねてきました。
それはマツダが、RX-7をピュアスポーツとして、
フラッグシップとしての意地がそこまでさせたのです。
技術で、基本を越していく、例えるなら、ポルシェ911の
進化に近いものがあるのでは?と僕は思います。
ロータリーピュアスポーツがない今、大切にしてもらいたい
一台です。
はい、どうも、トガショーです。今回は、第二世代GTRの中でも、特に人気のR34
GTRの中でも、特別な一台
『ニュル』の紹介です。
1000台限定モデルで、
エンジンは、N1耐久レース用のRB26を搭載。N1耐久とはノーマルに、ロールバー、競技用サスペンション、等を
取り付けた、GTレースのような、派手さはありませんが、
比較的、市販車に近い、クルマで行われる、レースです。
市販車にちかいとはいえN1仕様のRB26エンジンは、
600ps近かったとも。市販のニュルは、350PS近く
パワーが出てたそうです。その他の違いは、タービンがメタルタービンに変わったこと。低速トルクを犠牲にする変わりに高回転域のパフォーマンスアップを狙った物です。
エンジンの部品もバランス取りをして、精度を上げてるそうです。ある意味、究極のRB26とも、言えそうです。
GTRは乗り回して、ナンボのクルマと思ってますが、
ニュルだけは、大切に乗って欲しいです。
はい、トガショーです。今回は未だ人気の高い、初代インプレッサの特別仕様モデル、インプレッサWRX22Bの紹介です。元々ラリー色が強く、独特な世界観をもつ、スバル車
のですが、ラリーカーまんまのスタイルで、限定400台で発売されたのが、この22B、通常のインプレッサとの違いはまず、エンジン、200㏄の排気量アップとワイドボディ化。これらが、素の、インプレッサstiWRXとの違いです。最近は、こういった、特別仕様車の中古車市場は値上がりしており、コレクターは、ガレージに大切にしまい込んでいる状況です。幸運にも手に入れたオーナーさんには、
未来に残してほしい一台ですね。
「究極のナローナナサンカレラ」911の初期モデルに
73年式カレラRSRという
究極のモデルがあります。
もともと、ナローポルシェは
2リッター、6気筒でしたが
それをレーシングカーの906のカムシャフトを流用し、約300PS!。排気量はベース車が、2リッターに対し、2.8リッターまで、排気量を
上げています。車重は900キロ。こんなバケモノをポルシェは、グループ4レースとグループ3レースの為に作り上げました。ポルシェにとって、レースとは、究極の911を作るための実験の場だったのでしょう。
えートガショーです。
僕が独断と偏見を大いに含んだ、
世界で一番美しい、クルマは( ^ω^)・・・ランボルギーニ
ミウラです。ミドシップスーパーカーの始祖であり、それまでの
FR的優雅なスタイリングを保ちつつ、中身はミドシップという、今までにないクルマでした。Ⅴ12エンジンという、
ランボルギーニ―のアイデンティティを保ち、優雅な、スポーツカーです。
ども、トガショーです。
よく、トガショーさんは、ありがとうファームで何やってるの?って言われます。なので、僕の仕事を説明しようかと、主に、ブログの更新や、
たまに、木材で、F1の置物を作ってます。昔は、カフェの壁塗り、現秘密基地の2Fのかたずけ、色塗りをしてました。まあ、昔話はこれくらいで。
その気になれば、棚とか、作れますよ。
さてそろそろ、個人的に、
そわそわしてくる、季節です
。フランスのルマン24時間
ドイツのニュルブルクリンク24時間レースという個人的2大レースが6月、5月とあるからです。ルマンは恐らく、トヨタが勝つでしょうね。 ニュルは、正直分かりません。
ニュル24時間に関しては、不確定要素、特に、天候、
突然の事故、赤旗中断等、アクシデントが重なるので、
それらを考慮しても、順位の予想ができません。
個人的にはポルシェのファンなので、地元勢であるドイツチームのマンタイレーシングには頑張ってもらいたいです。
えーゴールデンウィークは
ひみつきち並びに、ありがとうファーム
グリーンハーツのライブにきてくださった皆さん、ありがとうございます。弊社も5周年を迎え、頑張って参ります。
これからも温かい目で応援お願いします。
さて、たまには、グリーンハーツのことでも書こうかと。
今までで、記憶に残るライブ
ベスト3ということで、栄えある、第三位は、初めての商店街ライブです。緊張して、歌えるかどうか、すごく心配でしたが、アライズさんのお陰で、勇気を貰い、自分らしく歌えたと思っています。続いて、第二位、三月の、中之町でのライブです。いつもは、栄町でやってますが、舞台を変えても
僕達らしく、歌えた、やれた、という点では、よかったのかなと思います。次は、第一位、去年のPARAメッセージフェスの最後の日曜日よりの使者です。みなさん、総立ちになり、やってきたことは、無駄では無かった、会場と一つになったという、嬉しさ、感動、色々な、感情が入り交じり、つい涙がこぼれました。最後の見送りでも、涙をながして、お客様を送ったのを覚えています。今年もなくんだろうなあ(笑)。
(前回の続き)
そして、プリンス自動車は
第二回日本グランプリでも、
屈辱を味わいました。
(しかし、ポルシェ904と
スカイラインGT-Bでは
クラスが違うとも言えますが)
そのため、第三回日本グランプリの為に、R380という、
国産初のプロトタイプレーシングカーを製作にかかります。
この辺りのハナシはGTRとハナシが微妙にズレるので、またいつかの機会に。そして、初代スカイラインGT-Rがデビューします。このGT-Rの心臓こそ、R380のエンジン、GR8型エンジンをデチューンした、S20エンジンだったのです。最初は、4ドアでしたが、その後、2ドアハードトップが追加され、更に戦闘力を上げました。当時のライバルは軽量ハイパワーのマツダロータリー軍団。サバンナや
カペラ相手に富士スピードウェイで死闘を繰り広げました。
そして、50連勝へ王手をかけたレースで、ロータリー軍団に敗北。連勝記録は49。その後、勝ち星をあげ、通算、50勝を挙げました。その後オイルショックもあり、ワークスは撤退し、一つの時代が終わったのです。その後、GT-Rと付いた、スカイラインがレース活動を行うのは、89年まで待たねばなりませんでした。
今回は、スカイライン・レーシング・クロニクルと題し、
レーシング・スカイラインを紐解いてみようかと。
やはり、近代モータースポーツを語る上ではずせないのが
第一回日本グランプリ。
当時、メーカーも、ノウハウもないことから、主なメーカーは、『積極的に、関与はしない』と紳士協定を結んでいました。が、プリンス以外のメーカーはこれを無視し、プリンスは足回りを固めたくらいでしたが、他のメーカーのマシンは、ほぼレーシングカーといえる物でした。結果、プリンス自動車は、惨敗。これを機にスカイラインGTの開発が始まります。グロリアスーパー6に積んでいた、6気筒、2000ccのエンジンをスカイラインのエンジンルームを延長し、ウェーバーのツイン・キャブレーターを搭載。馬力は125馬力まで上がったのです。当時としては、国産最強クラスでした。そして、第二回日本GP、ここに、突如刺客が現れます。ポルシェ904です。
904といえば、当時、トップクラスのレーシングカーです
。2リッター、180PS、4気筒。真面目に考えれば、
勝つ見込みなんてものは、ありません。当時ポルシェといえば、世界トップクラスのレース集団。極東のちいさな、自動車屋がかなう筈もありません。がしかし、レース中に一周だけ、ポルシェの前を走りました。ここから、スカイライン対ポルシェという、ライバル構図が出来上がったのです。
長くなるので続きは次の更新で。
さあて、いよいよ、4月20日
ひみつきち&アートパーク開催
日です。ひみつきちでは、ミニ四駆コースの、
リニューアル、
ボードゲーム、プラモデル、自由工作等盛沢山の内容での開催となります。お誘いあわせのうえ,足を運んでいただければ幸いです。
「忘れじのランチア」
今回は世界ラリー選手権を
席巻し、黄金時代を築いた、
イタリアのメーカー、
ランチアを語ろうかと。
ランチアといえばラリーの
イメージが強いと思うのですが、戦前は、高級車を主に生産していたメーカーです。戦後
は初期のF1にも参戦していましたが、ドライバーの死亡事故や、経営危機などでF1からは撤退しました。
その後はWRCに活躍の場を移し 、フルビアや、ストラトスで一時代を築き上げました。そして、037や、デルタS4での、グループBカーでの活躍や、トイボネンの悲劇的な死亡事故を乗り越えて、グループAでの、デルタの活躍、ラリーのイメージで語られることの多いメーカーです。
どうも、トガショーです。
今回は、角材と板材を使い、
F1の置物(インテリア)を
作りました。詳しい方なら、
一発で、あのマシンだな。
とわかるでしょうね。
作品名は「ジアッロ・リヴォルツィオーネ」イタリア語で黄色い革命という意味です。モデルのマシンがF1で、ハイテク革命の先駆けだったことから、名づけました。この置物は暇があれば、作って行きます
。一つ、1500円くらいで、販売も考えています。
ども、トガショーです。
今回は、グループ5レーシングカー。通称、シルエットフォーミュラーについて、語ります。 第一次のオイルショックなどの影響からメーカーの活動が制限されるようになり。結果的に衰退していったメーカー選手権にテコ入れしようと、FIAは1976年のメーカー選手権を、グループ5のマシン、いわゆるシルエットフォーミュラで戦うようにレギュレーションを変更した。市販モデルのイメージを残すシルエットは、メーカーにとって魅力的と考えられての変更だったが、ライバルが様々な状況から思ったようなマシン開発が果たせず、結果的にはポルシェの独り勝ちとなり、わずか5年でシリーズは、またも大きな変更を受けることになる。というのが前書き。主な、参加メーカーは、ポルシェ、BMW、ランチア、フォード、トヨタ、80年代に日本で限定的に日産が独自にシルエットフォーミュラーレースを開催。といったところです。特にポルシェは、911ベースの935ターボが猛威を振るい、表彰台はポルシェが独占しています。ですが、935メインではないクラスでは、フォードカプリや、BMW320iターボ、トヨタのセリカ、935とは、ランチアストラトスやベータモンテカルロが鎬を削っていました。
結果的に、ポルシェが強すぎて、一強になってしまい、各ワークスが撤退し、グループ5レースは、成立しなくなりました。
その後、プロトタイプを中心とした、グループCに、各メーカーが注目して行きますがこれはまた別のおハナシ。やはり、935は偉大です。その後、935はルマンスペシャルの通称モビィ・ディックが、活躍し、ポルシェターボという、伝説を残しました。
どうも、トガショーです。
今回は、改めて、スーパーカーに対する自論を書こうかと。
まず定義ですが、エンジンはⅤ8以上、排気量は、3リッター以上。駆動方式はファントゥドライブを感じれるなら、何でも良いと思います。でも、出来れば、ミドシップかなと。スタイリングは、低くて、デッカイ
ウイングとか付いてると、カッコイイですね。となると、
理想的なクルマは、ランボルギーニ―とか、フェラーリ辺りかと。F40とか、ディアボロ辺りがよろしいかと。
まあ、スーパーカーなんてものは、8割、雰囲気で乗るものだと思いますがね。
今回は、25周忌を迎える、
アイルトン・セナについて、
キーボードを叩こうかと、
ブラジルから、単身海を渡り、イギリスで、F3に挑戦。83年、イギリスF3チャンピオンに。84年、F1デビュー。トールマンという、言葉は悪いですが、弱小チームからキャリアを始めます。同年の、モナコで、雨の中、予選、13位から、決勝では、猛チャージし、第二位。因みに、一位は、アランプロスト。この時から、彼らの因縁は始まっていたのでしょう。
その後は、F1のキャリアを順調に、駆け上がっていきました。三度のワールドチャンピオン、優勝回数、41回、
表彰台に立つこと、80回。そんな、彼も94年、第三戦、
サンマリノGPで、イモラのタンブレロに散りました。
前線パシフィックGPはTIサーキット(現岡山国際サーキット)で、岡山の湯郷温泉には、メモリアルルームが設置されています。5月1日は彼の命日です。
さて、トガショーです。
今回はクラシックカーの
特集です。画像は、
ホンダS800のレースカーです。愛称はエスハチ。元のエスハチは2シーターのライトウェイトスポーツカーそれを、60年代としては、この手のクルマに珍しく、DOHCエンジンで直列4気筒、でした。このことから、当時のホンダの技術力の凄さが垣間見えます。
レースでも活躍し、今でも、クラシックカーレース等のイベントで見ることができます。
さて、今回のネタは、イギリスの軽くて、カッコイイ、
スポーツカー達、ブリティッシュライトウェイト達です。
軽いボディに小排気量のエンジン。スポーツカーのお手本のようなクルマです。
メーカーでいえば、ジネッタ、オースチン・ヒーレー等、
今見ても、カッコイイクルマが多いです。す
僕も昔はパワーのある、スーパーカーが好きでしたが、マニアックな雑誌を読むうちに、こうしたクルマが好きになりました。軽い車体とエンジンを生かし、コーナーを攻めたおす
そんな風にサーキットを走ってみたいです。
PS4で、やってみるかあ・・・・
さて、トガショーです。4月6日土曜日
11時より、ありがとうファーム、アートパーク&秘密基地
オープンのお知らせ
です。ミニ四駆コース、リニューアル、その他諸々、盛りだくさんの内容で、営業いたします。よろしくお願いします。
s
今回は、スポーツカーの魅力
を紹介します。僕は、レーシングシュミレーターでしか、
体験したことがないですが、
それでも、スポーツカーの
魅力を分かっているつもりです。スポーツカーの魅力、
それは、パワーでもなく、最高速度でもなく、操る楽しさだと僕は明言します。軽く、軽快なエンジンとクラッチのついた、マニュアルミッション、コーナーをミズスマシのように
駆け抜けれる、ハンドリング性能、これにつきます。
僕も昔、レーシングカートに乗った時、コーナリング性能に
ビックリしました。閑話休題。 オースチンヒーリーのような古典的、ライトウェイトスポーツもカッコいいですね。
ケーターハムのスーパー7もカッコいいです。
でも究極はロータスヨーロッパのレースカー47GTかなあ
とか、妄想している、僕なのでした。
3/28にESDカフェに参加してきました。ESDとは、
ESDは、「持続可能な社会づくりの担い手(人材)」を育成するための教育です。 "Education for Sustainable Development"の略称であるESDは「持続発展教育」という名前に訳されています。 ESDは、2002年にわが国が提案した新たな教育理念です。といことらしいです。僕も初めて聞いたので、詳しくはネット等で
調べてみてください。ESⅮカフェではありがとうファームの
活動や取り組みを紹介してきました。皆様のご協力の
お陰で、良い、時間が過ごせました。こういう健常者の方と
話すのは、なかなか無いので、楽しい、時間でした。
今日は、ロボットアニメの魅力を僕なりに考えてみようかと。
根っこにあるのは、鉄人28号
偉大な、日本初のロボットアニメ。
アレは、リモコンでした。しかし、マジンガーZでは、一歩
進んで、乗り物とロボットが合体して、一つになる。
革新的ですね。今までは、リモコンでしたから。
そして、更に、ゲッターロボでは3つのマシンが、合体してロボットになる。更に、3つのロボになる。
つまり、60~70年代にロボアニメの基本はできていたのです。更に、70年代後半には、リアルロボットの代名詞、
ガンダムが放映されました。この辺りで、リアルロボット
という、単語とスーパーロボットという単語が出てきました。前者はガンダムや、マクロス等、後者はマジンガーや、
ゲッターロボ、ライディーン等です。では、どう違うか?
簡単に言えば、リアルロボは、戦争という言葉が出てくる、
描写がスーパーロボットに比べ、現実的、といったところでしょうか?対し、スーパーロボットは、実在しない、エネルギーを動力にする、言葉は、悪いですが、荒唐無稽、
必殺技を叫ぶ、等が挙げれるかと。ロボットアニメのテーマ
も作品毎に、違います。愛、勇気、人間賛歌、人間の可能性
、平和への祈り、時には、絶望的な物等、
こんな魅力の詰まった、ロボットアニメの世界に足を踏み入れてみませんか?
今回は平成のヒーロー特集。
ご紹介するのは、その名も
『勇者王』『黒金のヒーロー」勇者王ガオガイガーです
。人類の英知が作り上げた、
ヒーローが、ゾンダーという
機械の化け物と戦う、お話。
画像の持っている、ハンマーで、ゾンダーを、光に変えてしまいます。カッコいいです。スーパーロボットは理屈じゃないです、見た目なんですよ。
さて、トガショーです。
今回は、GTーR特集です。
特に第二世代と呼ばれる、
R32にスポットライトを
あてようかと思います。
89年?デビューのこのGTーRはグループAレースで勝つため、開発がスタートしました。当時日産は、901運動といって、90年までに技術面、性能面で世界一を目指す、
という社内運動の真っ只中でした。そして、R30、R31スカイラインがグループAレースで、目立った戦績を上げてなかったことも、レースの日産のメンツを掛けた、開発プロジェクトだったことも、関係していると思います。
バブル景気の中、R32は当時の技術の粋をつぎ込んだ、
レーシングマシン然とした、クルマになりました。ツインターボエンジン、4WD駆動システム、セラミックタービン、
等で武装した、スーパーレーシングカーなのです。
2、6リッターという、中途半端な、排気量は、レースでの
レギュレーションに合わせたモノです。心臓である、RB26型エンジンは、レース用で600馬力、市販車では規制ギリギリの280馬力。トップクラスのマシンです。
海外でも、映画、YouTube等で人気が出ており、『ゴジラ』の通称で呼ばれているようです。あるレーサーは、
『GTRに乗れる日本人は幸せだ』と、こういう、名車は未来へ、一台でも多く、残すべきです。
さて、今回は、みんな大好き(?)RX-7です。
ピュアスポーツ、孤高のロータリーマシン、ロータリーロケット、こんな言葉が浮かぶ
クルマです。スタイルも、どこか、イタリアンスポーツな
感じです。独特のフィーリングとサウンド、やはり、ロータリーは特別です。
3/23日の秘密基地、大盛況に終わり、(人''▽`)ありがとうございました。おかげさまで、20人ものお客様が来店され、みなさん、笑顔で、帰られて行きました。
またのご来店お待ちしております。 3/26 更新
今週23日、秘密基地
オープン!!!
です。ミニ四駆
プラモデル、
カード・ボードゲーム、等、
盛沢山のないようで、営業させて貰います。
( `・∀・´)ノヨロシク!!!
どうも、トガショーです。
今日は、ちょっと思った事を
書きつらねようかと、
『強制社会ではなく共生社会の実現を』というテーマです
難しいハナシですが、今の世の中はどっちかというと、公でなければならない、こうしないといけない、みたいな、
風潮が、昔に比べれば、
薄れてきましたが、まだまだ、そういう、社会的風潮なのかな?的なとこはあると思います。そういう意味でまだ強制社会なのかなと。ここでいう強制社会とは、社会的風潮で、
生きずらさを感じることを差します。僕の造語ですけど。
障害があるから、ひっそり、声を小さくして、生きねばならない、女性だから、男だから、こうだ、というのではなく、
障害があっても、イキイキと堂々と、胸を張って、生きて行ける、そんな社会を僕は作りたいです。強制では無く、共生へと、21世紀をそんな時代にしたいです。
ども、トガショーです。
今回のネタは、Cカーです。
そう、80年代、一世を風靡し、恐竜の如く、進化し、
時代の流れで絶滅した、カゴテリーです。一時期は多数の
ワークスチーム、プライベーターが、参加していました。
画像は、ジャガーXJR-9、88年のルマンで優勝した、
マシンです。7リッター(!)Ⅴ12を積み、燃費はターボ車より、悪いのですが、ルマンで勝利を掴みました。他にも
91年にマツダが日本車初、ロータリーエンジンとしてはおそらく最後になるであろう優勝を手にしています。また、ワークスチームが鎬を削る、レースが見たいと思う、トガショーでした。
さて、トガショーのブログ、
新ページに移転しました。
これからもバンバン更新して
行きます。クルマネタ、
時事ネタ、その都度思った事
更新して行きます。